メメント・モリ

seagull

数週間前、大切な友人が50歳という若さで突然旅立ちました。その少し前には、同級生も亡くなりました。

すべての命には必ず終わりが訪れます。

日本では「畳の上で」という最期がほぼ難しくなり、夜でもコンビニには煌々と灯りがつき、夜中でもメールやSNSの連絡が飛び交い、つまり「一日が終わる=死ぬ」という概念がなくなり、組織は生き残りをかけて日々猛烈に努力を重ねています。

これまで10年近く、様々な形の「死」を扱うイベントや対話の場を開き、専門家のお話も伺ってきましたが、それは個人としてのテーマを超えて、「死」や「闇」と向き合う、そして「怖れ」と向き合うことは、リーダーシップにも欠かせないと強く思う今日この頃です。

そして2018年1月から、不定期に「死の対話」という場を設けています。

「死」を遠ざけ目をそらしているからこそ大きな怖れが生じますが、よく向き合ってみると大切なことがたくさん見えてきます。

友人たちの死によって、知り合いたちの間には大きな衝撃が走りましたが、不思議なことに私はあまり動揺しませんでした。一見冷淡にも感じられるかもしれませんが、「死」「終わり」「喪失」というものをたくさん体験して、できるだけ直視するようにして来た日々のおかげかもしれません。

そして、「死」と向き合うと、むしろ生がイキイキしてきて、豊かな人生が産み出されると考えています。


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