今日、ふと気づいたことがあります。
私が長年学び、実践してきたAppreciative Inquiry(AI:アプリシエイティブ・インクワイアリ)の原点は、30年ほど前に訪れていたセネガルの小さな島にあったのかもしれない、と。
島には仕事が少なく、若者たちは将来への希望を持ちにくい環境にありました。そして、多くの若者や大人が、こう言うのです。
「俺たちは所詮、奴隷の末裔だ。」
その言葉は、私の胸に深く突き刺さりました。「ご先祖様が奴隷として連れて行かれなかったから、あなたはここにいるんでしょう? ということは、あなたたちは奴隷なんかじゃない」と、しょっちゅう喧嘩していました。
自分たちの未来を、自分たち自身であきらめてしまっている。その現実が、何よりも悲しかったのです。
観光で生きるその島の子どもたちが、私が通ううちに背が高くなってきたある日、私を取り囲んで脅迫まがいに「そのジャケットを渡せ」という出来事がありました。ジャケットだけなら他愛もないと思えますが、親の友人である私をそういう対象で見るようになったことに、大きな衝撃を受けました。
日本へ帰る飛行機の中で、「このままでは島の子どもたちが不良化してしまう」。そんな思いが頭から離れず、悔しくて涙が止まりませんでした。何とかしたい。でも、自分には何ができるのかわからない。そんな無力感だけを抱えて帰国しました。
当時は国際援助に携わっていたのですが、当時は、できていないことを教え、直し、金品による援助をすることが支援とされていました。また、古くから支援の対象となりむしろ受け身と化したアフリカは悲しいことに「支援の失敗」とみなされ、対象地域がアジアにシフトした時代でもありました。
しかしそのとき私は、一つのことに気づきました。できていないことを矯正するよりも、一生懸命がんばっている子を認め、褒めた方がいい。「ボクも/私も、あんな人になりたい」と小さい子たちに思ってもらうには、どうしたらいいか?
そこで、当時ナショナルリーグで上位に入っていた島のサッカーチームを支援することにしました。サッカーチームといっても、島に十分な大きさのコートを作る土地はなく、建物に囲まれ、端っこには大きな木があるという、恵まれたとは言えない環境。脛のプロテクターをつけるには、ソックスもスパイクも必要ですが、持っている子はいません。それでも彼らは毎日、島の丘まで裸足で汗だくのランニングを欠かしません。
帰国した私は、あるスポーツメーカーさんから大量のギアを寄付してもらうことに成功し、島に持っていきました。島では仰々しい「贈呈式」を行なってくれました。ちょっと気恥ずかしいながら、それを見た子どもたちが「がんばれば、ああやって応援されて、喜ばれるんだ♪」と思ってくれることを期待しました。
人は、自分の欠点ばかり指摘されると、自信を失ってしまいます。でも、自分の頑張りや可能性を認めてもらえると、本来の力を発揮し始めます。「問題ではなく、すでにある強みに着目して育てる」ことを、セネガルの子どもたちから教えてもらいました。
その後、私はAppreciative Inquiryを学び、組織づくりや人材育成の現場で実践してきました。
そして今日、ようやく気づいたのです。
あのとき私がセネガルで発見した視点は、「強みに着目する」Appreciative Inquiryと同じだったのだ、と。
理論を学んだから、そのような関わりができたのではありません。現場で試行錯誤しながら大切にしてきた感覚に、あとから「Appreciative Inquiry」という名前が付いていたのです。
30年近くの時を経て、一つの体験と今の仕事が一本の線でつながりました。
人生では、ときどきこんな瞬間があります。
過去の出来事が、何年も経ってから新しい意味を持ち始始める。私にとって今日は、そんな一日でした。



コメント