以前、ある能楽師(小鼓)の方から聞いた話です。
ある演目に、能楽の中でも一番長い「間」がある。ところが、その「間」が、とても難しい。
修行中だった彼は、ある日、大発見をしました。心の中で、「赤坂見附、赤坂見附、赤坂見附、赤坂見附、赤坂見附……」と5回唱えてから、「ポン」と打つと、師匠が、「よし。」と言ってくれるようになったのです。
これを続けるうちに、「赤坂見附」を唱えなくても「間」が身体の中に刻み込まれていきました。
これは、暗黙知というものを考える上で、とても象徴的な話だと思います。
ところで、私は日本舞踊の名取の免許を持っています。
日本舞踊のお稽古は、基本的には私が「寿司屋の修行方式」と呼ぶ学習方法で伝えられます。いわゆる「師匠の背中を10年見て覚えろ」という手法です。
師匠を見る。→真似する。→直される。→また見る。→また踊る。
すべてを理屈で説明してもらうわけではありません。師匠の身体を見て、音を聴いて、間を感じ、自分の身体を動かしてみる。
そうやって繰り返していると、ある日突然、「あ、できた。」となる。
それまでバラバラだったものが、身体の中でつながる瞬間があるとしか、言いようがありません。
そして、これは日本の伝統芸能だけの話ではありません。
世界の伝承的な音楽を見ても、似たような学び方があります。実は現在でも世界各地で営まれている伝統音楽の世界では、五線譜による記譜*を中心とせず、商業的に販売したり、録音して届けたりすることを主な目的としないものが多数存在しています。
*インド音楽、日本の三味線、中国の二胡など、独特の伝統的楽譜を持つものもあります。また、日本の伝統音楽でも、新しい譜記法が考案されることもあります。
そうしたさまざまな地域の伝承音楽では、「真似て覚える」「師匠につく」という学び方が大きな役割を果たしてきました。
楽譜を読んで、決められた音を再現するというより、身体で覚える。
音の微妙な揺らぎ、リズム、間、力の抜き方、他者との呼吸、その場に応じた変化。
そうしたものを、言葉だけで伝えるのは難しい。だから、師匠のそばにいて、繰り返し見て、聴いて、やってみる。
そして、ある日突然、できるようになる。
拙訳書『ドラム・マジック リズム宇宙への旅』では、インド音楽の師匠に弟子入りした若者の話が出てきます。
インド音楽はインド音楽は夜遅くから始まり、数時間かけて演奏が展開し、夜明けまで続くこともあります。若者は師匠のお付きの者として使えていました。何年経っても楽器の演奏を教えてくれない師匠に業を煮やした若者は、「あのう・・・そろそろ教えていただけないでしょうか?」「そうか、では、やってみろ」
若者がおずおずと演奏してみると、「すでにできていた」そうです。師匠の「よし。」が出たわけです。
それは極端なエピソードかもしれませんが、友人のウード*奏者からも、似たような体験をした話を聞いたことがあります。
*中東や北アフリカのアラブ音楽圏で広く使われる伝統的な弦楽器。ヨーロッパのリュートやギター、日本の琵琶の原型と考えられている。
伝統音楽には、こうした共通の「知の伝わり方」があるように思います。世界各地の武道や伝統工芸、そして日本のその他の「道」も同様かもしれません。
身体を中心にした伝承的な手渡し方と、新しい手渡し方。
私は、どちらが優れているという話ではないと思っています。
「見て覚える」からこそ、師匠自身も意識していない微妙なものまで、学ぶ側が身体で拾えることがある。
一方で、暗黙だったものを言葉にすることで、より多くの人にアクセス可能になることもある。
大切なのは、その違いがあると知ることなのではないでしょうか。
暗黙知というと、つい、
「言葉にできない知」
と考えてしまいます。
でも、それだけではないのかもしれません。
「赤坂見附」のように、言葉を使って身体に入れることもできる。
最初は意識的に「赤坂見附」と5回唱えている。
でも、それを繰り返すうちに、その時間感覚が身体に沈み込んでいく。
やがて「赤坂見附」と唱えなくても、「間」が取れるようになる。
つまり、
言葉 → 身体 → 無意識
という移行が起きている。
暗黙知とは、単に「言葉にならない知識」ではなく、
身体の中にある知。
経験の中にある知。
場との関係の中にある知。
そして、まだ言葉になっていない知。
なのではないでしょうか。
そして、その知を次の人にどう渡すのか。
「師匠の背中を10年見て覚えろ」なのか、「赤坂見附と5回唱えてみよう」なのか、あるいは、まったく新しい教授法なのか。
その方法を探すこと自体が、暗黙知をめぐる探求なのだと思います。
マニュアルを整備することも必要です。研修をすることも必要です。
でも、人はそれだけで学んでいるわけではありません。
誰と一緒にいるか。
何を見ているか。
どんな場にいるか。
何を真似しているか。
そこから、本人も気づかないうちに、たくさんのことを学んでいる。
だから、人を育てるということは、教えることだけではないのかもしれません。
どんな人と、どんな場をつくるのか。
そこにも、暗黙知のテーマがあります。
そして、それにしても――
「赤坂見附、赤坂見附、赤坂見附、赤坂見附、赤坂見附……ポン。」
で、「よし。」って。
暗黙知って、けっこうおかしい。
そして、だから面白いのです。
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