U理論実践家であるアダム・カヘン氏は著書『POWER & LOVE』(訳書『未来を変えるために本当に必要なこと』英治出版)の中で、以下のようなキング牧師の言葉を紹介しています。
愛のないパワーは無鉄砲で虐待的であり、パワーのない愛は感傷的で無気力である (訳書とは異なる訳です)
最近「いい会議/対話とは?」をあらためて考えてみる機会が続きました。
そこで多くの参加者が様々な言葉で表現していたのは、「誰もが発言できる場」の大切さに関する意見でした。
参加者の発言量に差がある一つの現象として、「声の大きい人・強い人」がその場を乗っ取ってしまうということがあります。ですが、「発言しない人」にもその原因があるのかもしれないということがわかってきました。
「声の大きい人」側の原因
- 立場が上なので、当然話すべきと考えている
- 「みんなを引っ張っていく」責任があると思っている
- 自分が正しいと信じている
- そもそも、自分が場を乗っ取ってしまっている自覚がない
「発言しない人」側の原因
- 自分は立場が低いので、発言する権利も自信もないと考えている
- 偉い人の「神の声」がを待っている
- まだ考えがまとまっていないと感じる
- 「どうせ自分の考えなんて相手にされない。それなら黙っていたほうがマシ」
- 「以前、話したのに却下されたり、むしろ説教やアドバイスをくらった」
もちろん、その他にもいろいろな原因があるでしょう。こうした「心理的ランクの差」の厄介なところは、誰もが知っているのに、そのことに無自覚なことも多いということです。
では、どうするか?
そのためにファシリテーターは準備から会議/対話の最中まで様々な工夫をし、細心の注意を払って、場を読みながら進行をサポートしていきます。
「ファシリテーターは中立であるべき」と、よく言われます。これは、「自分の意見を持ってはいけない」とされがちですが、むしろ「誰の肩も持たない」と言ったほうが正しいと思います。
しかしそれは、「どの人の意見にも賛成する」博愛主義を通すべきということでもありません。何をやってもどうしても場を乱したり乗っ取ってしまう人(静か/冷ややかに場を「監視」しているというパターンも含めて)がいる場合、思い切って勇気を出してそれに対処することも必要かもしれません。
拙訳書『プロフェッショナル・ファシリテーター』の原著『Standing in the Fire』の副題は、「Leading High-Heat Meetings with Clarity, Calm, and Courage(白熱した会議を、明晰さ・穏やかさ・勇気を持ってリードする)」となっています。この副題の意味は、最近の対話を通じて私の中でさらに腑に落ちるものとなりつつあります。
また、同著の中の「流儀4」である「自分の役割を明確に意識する」、つまり会議や対話の目的を見失うことなく明晰に穏やかにいれば、「勇気」を発揮できるのではないでしょうか。



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