最近、「これはAIで書いた文章だとわかる」と感じる人が増えています。文法も論理も整っている。内容も間違っていない。それでも、どこかで読む気が失せる、そして違和感がある。
理由は明確です。
きれいだが、書き手の“気づき”がないから。AIは、これまでにあったものを集めて「大勢の正解」「平均点」か「優等生」の文章を書いてくれます。そこに、生身の人間の息づかいは感じられません。
先日、学生同士の対話の場で、印象的な場面がありました。いみじくも、「AIを生活にどう取り入れているか」を話し合っていた時のこと。若者にはめずらしく「実体験が大事なので、AIにのまれたくない」という学生と、「僕はAI派なので、ゲームのストーリーを全部AIに書かせて読んでいる。効率的なやり方だ」という学生が話していました。しばらくして、後者の学生が「あ! 僕、感情を失ってきているかも」と。
私は「ゲームを実際にやってハラハラドキドキするところが面白いし、最初から結末がわかっていると意味がないのでは?」と口を挟みそうになる自分を押さえてその対話を聴いていました。でも、やり取りの中で彼は自ら気がついたのです。
この出来事と、AIの文章が見破られる現象は、実は同じことを示しています。
・気づきは、やりとりのなかからもたらされる(社会構成主義)
・人間には感情があるので、心に「揺さぶり」がかけられた時に「気づき=新たな意味の生成」が起きる
・それに、人間の脳は反応して、AIの文章を見破ることができる。
経営の現場でも同じです。完璧に整理された資料や、正論だけの説明では、人も組織も動きません。
一方で、
- 経営者自身がどこで迷ったのか
- 何に違和感を覚えたのか
- どの前提を疑ったのか
そういう風に揺れのある言葉には、人は反応して興味を持ちます。
私が伝えたいのは、「AIを使うな」という話ではありません。
問いは、ここです。
あなたの言葉には、
あなた自身が“考え直した瞬間”が残っていますか?
経営において本当に価値があるのは、正解を語ることではなく、意味が立ち上がる瞬間を、組織と共有することです。
AIは、「すでにあるもの」を集めてきて、整理することはできます。しかし、気づいて決断するのは、いつも経営者自身です。


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