思い込みは、日々生まれている

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偶然ですが、二日連続で「聞こえない人」のドキュメンタリーを観る機会がありました。

最初の番組は、聞こえない写真家夫婦と、聞こえる子ども(「コーダ」と呼ばれています)の話。子どもが卒園式でみんなの前で手話で親に感謝を伝えるのをためらう場面がありました。「なるほど、コーダの子どもには、複雑な気持ちがあるのだな」と思いました。

次の日に観たのは、聞こえない両親を持つ女性の話。人気脚本作家であり、芝居の手話通訳も勤めています。お母さんにインタビューすると、「小学校の授業参観の時、自分は様子を眺めるだけでいいと思っていたら、娘が授業内容をすすんで手話で伝えてくれた。あれは、嬉しかった!」 その女性は、人前で手話をすることに何の抵抗もなかったそうです。

同じ環境下にある子どもでも、まるで逆の反応をしたことに、愕然としました。二日目の番組をたまたま観ていなかったら、私は「コーダの子どもは、人前で通訳するのを恥ずかしいと思うことがある」、そして「そんな複雑な事情も知っている自分は、障がい者に理解のある人間だ」と、傲慢な考えを持ったかもしれません。

「人間は、一人一人違う」と肝に銘じていても、毎日小刻みにこのような思い込みや勝手な解釈が生まれています。家族でも職場でも、「目の前の人の」「本当のことば」は、自分が勝手に考えていることとは違う可能性を、上の二つのドキュメンタリーで思い起こさせていただきました。

そのために、日々「本当のことば」が出やすい環境を作っていくことは大切だと再確認する機会となりました。

<参考>
映画『コーダ あいのうた
映画『私だけが聴こえる

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