先日、大学の「ファシリテーション論」の授業で、ワールドカフェを行いました。学生が書いたリアクションペーパーには「もっといろいろな方法を知りたい」と書いたものがあり、「ツール」を紹介するのは「諸刃(もろは)の剣」かも?と思いました。次の授業では、「ツールを使うことを目的化しない」ことを伝えようと思っています。
偶然ですが同じ日に、大学で同僚の臨床心理士が、「今夜、地域懇親会があり、ワールドカフェをするようだが、参加したくない」という話をしてくれました。彼女は過去に何度かワールドカフェに参加したことがあるそうで、「何のためかわからない」「時間の無駄」「気分が悪い」という印象を持っていました。
そういう話を聞くたびに、「ワールドカフェという新しい方法を知ったので、やってみたい」という気持ちが先に立つ場合も少なくないのかもと感じます。
ワールドカフェは現在ではいろいろなところで使われるようになってきました。先人たちの努力もあり、学校の教科書にも載るほど普及しています。それだけに、構造(席を移動する、3ラウンド程度行う、ファシリテーターを「ホスト」と呼ぶ、等)があり人目をひくため、ワールドカフェの意味や価値が伝わっていないケースもあるようです。
今回、日本のワールドカフェの第一人者である香取一昭さんや、GCBC(生成的対話の場コミュニティ)他にご相談したところ、さらに普及するとともに、生成的な対話の場に参加する人を増やしたい、というお答えでした。「生成的(generative)」という概念は、体験値がないとなかなかその良さが理解できない、つまりまさに「卵とにわとり」のような性質を持っています。
ワールドカフェに限らず、それぞれの手法・ツールには、どんな特徴があるのかを理解した上で、現在どういう課題がありどんな目的でそのツールを活用するのか?を考えることが必須となります。
「ツールを使うこと」が「目的」とならないよう、私たちにはどんなことができるのでしょうか?



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